hirarafu’s diary

twitter:@guutaraiueokaki(https://twitter.com/guutaraiueokaki)

機械系から情報系に転系したいと思い足掻いたが、結局一度高専を休学してから情報系に編入することになった話

はじめに

タイトルではこの記事は情報系に編入する話という体になっていますが、なぜ機械系に入ったのか、なぜ転系しようと思ったのかなども内容に含めるために高専入学後から話が始まっています。

記事を書いた動機

TwitterのTLに高専で転系したよ〜って記事が流れてきたので、自分自身なんで今みたいな状況になってしまったのか一度振り返りたくなったから。つまりこの記事はほぼメモ書きみたいなものです。

高専一年時

ロボコンを見て高専入学を決めたことから、入学後はロボット研究部(略称はロボ研)に入る。シス研(プログラミングをやってる部活)も体験入部に行くかどうか迷ったが、当時のロボ研部長の「シス研でも出来ることはロボ研でも大体できるよ」という言葉を馬鹿正直に鵜呑みにしてしまい(自業自得)、ロボコンに専念し始める。ロボコンはブラックなところもあったが、部品を組み立て、体育館に行って動作させ、ロボットの調整をして精度を高めていくのはとても楽しく当時は他に何もいらなかった。

地区大会で自分が所属していたチームとは違うチームが審査員推薦で全国大会へ駒を進めることになり、幸運にも全国大会の様子を生で見に行くことが出来た。

全国大会が開催される国技館で熊本高専がとてつもないパフォーマンスで一瞬で高得点を出したあの瞬間、比喩でも何でもなく全身に鳥肌が立ち、少し遅れて会場全体が喝采に包まれたあの瞬間。当時の興奮を今でも鮮明に覚えている。

将来は自分達の力でもう一度全国へ行きたいと本気で思っていた。

高専二年時

ロボ研では加工、設計班だったので迷う余地なしというレベルで適当に機械系へと進路を決めた。本当に当時はロボコンだけが全てだった。

が、始業式後クラスのメンバーや雰囲気を見て絶句することになる。オラオラ系の人しかいなかったのである。ぶっちゃけてしまうとその人たちがほぼ全員ヤンキーに見えた。全員僕のヒーローアカデミアの爆轟みたいだった。

先生が授業中でも休み時間のようにうるさく、教員の注意は意に介さず、後ろに食いかけのカップ麺が放置され、休み時間中には教室の後ろ側でバスケやスケボーなどが行われており、教室に面している廊下の壁に穴が開いたこともあった。

僕みたいな気の弱い人間は当然そのような人達の中に友人はおらず、機械系には一年の頃に同じクラスだった友達が一人だけいた。(この友達がいなかったら僕は三年で退学してたと思う。本当に感謝してます。ありがとう)

機械系の授業は楽しかったが、クラスの居心地が悪く、毎日逃げるように寮に帰り、ベッドに横たわる生活が続いた。あれだけ楽しかったロボ研にも行かなくなってしまった。デスクトップPCを買ってからは引きこもりに拍車がかかり、徹夜でゲームをしたりblenderをしたり、絵を書いたりする日々になった。

シス研に入部

何を思ったのか、二年の冬にふと一年の頃切り捨てたシス研に体験入部に行った。宗教の教祖が似合いそうな某先輩に自分が今何がしたいのかを話し、ロボ研を辞め、春休みに自主的にプログラミングを始めた。

三年の前期(学校の授業がオンラインになった)

プログラミングは楽しかった。よくある文法書をやっただけだったが。

文法書だけではプログラミングで何ができるのか全く想像がつかなかったので、とあるハッカソンのような大会に一人で飛び込み、なんとか優しいチームに拾ってもらった。技術的な貢献は何もできず、強い人達の話を聞いてプレゼンのスライドを作るぐらいしか出来なかったが、プログラミングでできることの想像の幅が一気に広がった気がした。

三年の後期(対面授業再開)

プログラミングの楽しさが増す一方で、機械系の授業の方が苦痛になり始めた。設計などは楽しかったが、力学などは全く興味がなかった。四週間ぐらいずっとネジの話をしていた授業などもあり、機械系の授業への辟易が大きくなっていった。これをきっかけになぜ自分が機械系の進路を選んだのかを振り返り始め、ついに私は機械系の授業に興味があって機械系に進路を決めたのではなく、ただロボットが視覚的に好きで、組み立てるのも楽しかったから機械系が一番私に合っているだろうという理由で進路を決めてしまったことが分かってしまった。

そこからは地獄だった。今まではクラスのメンバーが地獄でも機械系の授業が楽しかったからなんとか学校へ通えていたのに、機械系の授業すら楽しく無くなってしまったからである。特に系選択と同じように脳死で選んだ全系横断演習(個人で選択した授業を一年半続けることになる)のライントレースの授業はひどかった。予算がなく部品の発注もままならないので、専用の教室の片隅にあった鉄屑からパーツに使いそうなものを拾い上げ、なんとか機体を加工して作成し、マニュアルで指示された通りに作った回路をオンボロ機体に乗せ、機体が上手く動かなかった場合は鉄屑とスクラップの中から機体をうまく走らせるようなものを見つけ出して機体に継ぎ足しし、改善することしか出来なかった。教員にaruduinoなどを購入してセンサの設定をいじれたり出来ないんですか?と聞いたが「予算がないから。自費で買うならいいよ」という返答が返ってきただけだった。

教室への毎日の登校の足取りが重く、半ば思考停止で日々を過ごしていた。

その頃から情報系への転系を考え始めた。

情報系へ転系するために

情報系へ転系するために機械系の教員と情報系の教員へ相談して回った。

ここに教員達からの返答集を置いておく。

「調べたところ「基本的に系の変更は出来ない」とのことでした」

「去年も「転系したいんです!」って言いに来た子がいたけど、無理だったんじゃないかなぁ?」

「大学から情報系に転系すればいいんじゃないかな?ほら、機械系と情報系両方強かったら貴重な人材になるじゃん?」

「そうだね〜三年から転系っていうのは厳しいね〜。一年留年するって形ならなんとか規則の穴をつくようにしていけるかもしれないけどね〜」

せめて研究室は情報系の研究室に入りたいと思ったが、「機械系が情報系の研究室に入ろうと思った場合機械系でのその人の順位は関係なくて、情報系の人で枠が埋まった後に機械系の人が行きたい研究室が空いていればそこに潜り込めるって感じだね」と言われた。

ちなみに高専の情報系に編入できるかもとも思い、調べたが、とっくの昔に試験は行われていた。

機械系の授業は苦痛、周囲にプログラミング仲間もいない、どれだけ機械系での成績が良かろうが自分が行きたい情報系の卒研の研究室に入れる可能性も低い......。僕は何のためにこの学校にいるんだ?何のために生きてるんだろう.....?

答えを出すわけでもないのにうわ言のように毎日毎日心の中で自問自答を繰り返し、自己嫌悪に陥り、精神的に追い詰められていった。

プログラミング関連

教員に転系の相談に行っている頃フロントエンド側の勉強をしていたが全く上手くならず技術の表面だけをなぞるような感覚があった。プログラミング仲間を求めてシス研の部室に行ってみたが、去年の冬数回だけ話したことのある先輩方は卒研ですでに部室からいなくなっており、四年の先輩は引退、三年の同級生は大半が編入に舵を取っている感じだった。

二年のつよつよ君が一、二年生相手に講義をしていたので下級生と関わるためにそれに参加させてもらったこともあった。講義後一年生の子と仲良く話していた(個人的には)のだが、私が一年生でなく三年生であることをその子が会話の途中で気がつくと、言葉につまり始め、急に帰る用意を始めて「あ....お先です....」という感じで部室から出て行った。普通にショックだった。

その時、三年の途中から本格的に部活に現れるようになった私は既に頼れる先輩も時間のある同級生もおらず、技術的な知識もなく、一、二年生からも浮いている存在なんだと理解した。悲しかった。

その後、唯一の三年生のプログラミング仲間と2dayインターンハッカソンに出たりしたが、自分の技術力不足を突きつけられただけだった。

四年生時

春休み中はTwitter Botを作り、その後舞い戻ってきた学校の授業中ではずっと「マスタリングTCP/IP―入門編―」を読んでいた。

一方で、懲りずにもう一度学生課に転系の話を聞きに行くと昨年私が教員方に転系の相談をしまくったことにより新しく転系制度が出来たと伝えられた。私は嬉しくなってこう聞いた

私「ということは僕も転系できるってことですか??!」

学生課「いえ、原則二、三年生の方のみです」

.......一瞬理解できなかった。私が相談しまくったことをきっかけに新しく出来た転系制度が私は対象外だったのだ。煽ってるのか?と思った。一年留年してでもいいから転系させてくれないかと頼んでみたが受け入れられなかった。

その後もうこのまま機械系にいても望みはないと思い大学や高専のカリキュラムを調べ、行きたい場所を選んだ。その内、試験内容が突破できそうなのが高専の試験だけだったので、休学して高専編入試験に備えることにした。

休学後は機械系からの開放感がすごく、しばらく自分の好きなことをした。セキュキャンの応募課題を解いて低レイヤへの興味を深めたり(セキュキャン落ちたが)、基本情報技術者試験の資格を取ったりした。

その後受けた東京高専は落ちてしまったが、津山高専に受かることが出来た。

わーい。めでたしめでたし。

(ハッピーエンドで終わらせたい方はこのままブラウザバックしてください)

最後に

おまけとして津山高専合格後から現在に至るまでの心情の変化を日記形式でお届けします

合格後

わーとりあえず試験受かったし!Goでも入門するか!

数週間後

色々Goの本とか記事とかやったりしてきたけどReact+Go+DB+WebGLで作ろうと思ってるやつのReact+Goの実装イメージすら湧かんな。 これ良さそうじゃないか?

www.udemy.com

これ進めてみてからどうやって作りたいもの作るか考えよう。

一週間後

結構進んだか?

最近何もかも意欲が湧かなくなってきたな。

何してるんだろ僕。

学校行ってる人の方が楽しそう....

さらに一週間後

わー、次は認証の実装かー。楽しそう(棒)。ハハ...

....最近何のためにプログラミングをしてるのか分からなくなってきた。確かに新しい機能を実装していくのは楽しい。楽しいけど...TwitterのTLを見てるとほんとにこのままでいいのか不安になってくるんだよな。

数日後

孤独感に潰され、モチベーションが消えてしまう。

ここ一週間ぐらい

......何もかも分からない。とりあえず筑波の編入にTOEIC730点必要だから毎日寝て起きて英単語して寝て起きて英単語して寝て起きて英単語して寝てを繰り返してる。

以上です。終わり。

皆さんはこうならないように気をつけてくださいね。